ありがとうございます。

早いもので


閉店しまして、今日でちょうど1年がたちました。


朝から、お客様からたくさんのメールをいただきまして。


本当に、ありがとうございます。


小さな

本当に小さな、営みではありましたが。


今でもこうして折に触れて、お便りなどをいただき。


お店を営む者としてこれほど、幸せなことはないでしょう。


今日、メールをいただいたお客様にも書いていますが。


私は、あのお店の厨房に自分で立っていたと思ったことはありません。


むしろ、立たせていただいていた、と。


どんなお店にしろ、単なる箱、と私は思います。
それは家も同じかもしれませんね。


どんなに新しく、外観が素敵でも。


逆に、どんなに古く、つつましくても。


中で働いている人の在り様と


お客様の在り様で変わるものだと。



えぜでという小さな空間ですら

なんだかしっくりこない日もあったり、

逆に、思いがけない喜びに出会えたり。


つまるところ、店主は待つのみですから。


いくら、雑誌に載ったところで、基本的には変わらないし。


あくまで、これは私見なのですが。


私は、提供する素材(お店によってことなりますが)やお客様に対し、

中途半端な妥協はせず、

きちんと真摯に向き合うことを大事にすれば、


人は必ず来てくれるものだ、と。



それも、不思議と同じような波長をもつ人が来てくれる。

そして

その人がまたいろいろな出会いを運んでくれる。


まるで、鳥さんたちが種を運んで、花を咲かせてくれるように。


どんどん、自分でも思いもよらない豊かな枝葉が付き、実を結ぶ。


そして


お店には必ず“余白”も必要だとも、思います。

それは、生活をしていく上でも大事に想うことです。


“余白の美”


というと、ちょっと格好良すぎますけど。


完全に自分の思い通りに出来上がった空間に「はい、どうぞ」ではなく。


来てくださるお客様、一人ひとりのいろいろな愉しみ方があり。

「なるほど、そんなこともありか〜」

「へえ、この音楽素敵だねえ」

みたいなお客さまからのいろいろな提案を愉しみ、取り入れる余裕、という余白。


でも、何でもかんでも受け入れるとわけがわからなくなり。


しなやかさを纏ったぶれのなさも必要で。


“頑固に謙虚”


そんなところかなあ…。


いずれにしても


たった2年間のちんまりした母娘の営みが


同じ空の下で生きている人の中にまだ、息づいてもらえている。


ああ。


私は、幸せすぎて、死んでしまうのではないでしょうか(笑)。


まあ、それはそれで悔いはありません。


本当に、いろいろな人たちの懐に思い切りよく飛び込み、


精一杯愉しみながら、させていただけましたから。


えぜこを温かく支えてくださった皆様。


本当にありがとうございました。


敬愛するまめすずちゃんが、閉店の際につくってくれたケーキ→http://mamesuzu-sweets.com/


もう、1年、なんですね。


最近、とみに

日にちとか、年齢が曖昧になってきているのは、年齢でしょうか。