祖父のことも、少し。

校長先生をしていた祖父は厳格で、幼い頃の私には「恐い」という記憶ばかり。
帰省しても祖母ばかりにくっついていたし、この家も、もっぱら「おばあちゃんち」だった。

大学に入学し、居候させてもらったことがある。
門限は19時(!)で(結局それが守れなくなって下宿をはじめたのだが)、それを過ぎると必ず京阪の宇治駅まで迎えにきてくれていた。
当時の京阪宇治駅宇治橋は夜になると真っ暗だった。ごうごうっと流れる宇治川の音を暗闇で聞きながら、祖父の後ろから、とぼとぼ無言で帰ったのを覚えている。


口下手でつっけんどんな物言いをするから偏屈と誤解されがちだったが、本当は優しくて曲がったことがキライな性だった。

いつだったか、祖父の教え子という男の人が尋ねてきた。祖父の死を知らなく、お線香を上げさせて欲しいと。
その人から語られる祖父は、私の知らない教師としての祖父で、ちょっとした感動だった。


朝起きて、ぼざぼざ頭でお仏壇にチーン、チーンと手を合わして水をかえる。
神棚と三方さんにもあいさつ。あと、町内のお地蔵さんにもあいさつ(ときどき遅くなるのだが)。

誰に言われたわけでもないが自然にこうしている。それは祖父の大事にしてきた日課

私の中の祖父はここにある。

↓おじいちゃんといっしょ。